『六三四の剣』『JIN-仁-』『龍-RON-』の作品で知られる村上もとか先生は、石神井に長年住まわれているので、私の行きつけのお店でもよくお見かけする。
しかし、畏れ多くて、きちんとご挨拶をしたことはいまだない。。。
今さら「はじめまして、さかばクンと申します。」って名乗るのもなんだか小っ恥ずかしいしね😅
館内はスマホでの写真撮影OKなので、私もぴょんさんも随分撮らせてもらったが、ここでは掲載を控えておく。
村上先生の精緻な画力にとにかく圧倒されるので、実際の作品を現地で見ていただきたいからね。
土・日、早朝から夕方まで目一杯働いたんで、自分にご褒美。
海のリポD、タウリンたっぷりのいかをおつまみで。
葵寿司
練馬区石神井町3丁目3−33
03-3996-8957
プロフ写真のバック、もしかして石神井公園かな?
集英社、小学館、河出書房新社と出版社がまず来て。
その次は……
えーーーっ!
見覚えのある寿司屋さんの名前がある❗
『葵寿司』ってアノ『葵寿司』だよね(笑)
『こち亀』の秋本治先生よりも上段にあるなんて、スゲぇな。
葵寿司愛がスゴすぎる😍
「村上もとか展」は、9月25日まで。
文京区弥生2丁目4−3
03-3812-0012
ちなみに、この近く(東京大学の農学部と工学部の間)に「弥生式土器発掘ゆかりの地」という石碑がある。
ぜひ、そちらにも足を伸ばして欲しい。
(根津駅から弥生美術館を目指すならその途中にある)
ここで出土された赤焼きの土器は、その地名から「弥生土器」と命名され、この土器が作られた時代を「弥生時代」と名付けた。
では、なぜここは「弥生」という地名だったのか。
江戸時代、ここには水戸藩の中屋敷があり、水戸藩9代藩主で15代将軍の徳川慶喜の父、徳川斉昭が3月(弥生)に詠んだ和歌の石碑が残されていた。
そこで、明治5(1872)年に「向ケ丘弥生町」と命名され、2年後の明治7(1874)年に弥生土器が発掘されたというわけだ。
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謝辞にたまげた2日後。
村上もとか先生の愛がスゴすぎる『葵寿司』へ。
紺の暖簾は『JIN』の野風さんだが、夏らしい白い暖簾は『JIN』の橘咲さんだね。
久々にひとりでふらっと立ち寄ってしまった。
「村上もとか展に行ってきましたよ」
私より数日前に観に行っていたしげるさんに伝えた。
すると「うしろ、うしろ」と目で合図されたんで振り返ったら、小上がりに村上先生ご夫妻がいらしていた😅
わおっ!
わさび醤油も良いけど、すだちを少し搾って塩でいただくのが好き。
これはぜひとも食べたい。
白焼きでお願いした。
うわぁ!!!
脂がのってて美味しい!!!
しげるさんによれば、仕込みのときから「これはいい♪これはいい♪」と何度も大将が嬉しそうにつぶやきながら捌いていたらしい。
「やっと、満足のいく穴子が手に入ったんだよ」と大将。
製造責任者が小山駅前にある白鴎大学出身ということで名付けられたお酒らしい。
本日、ふらっと立ち寄ったのには、きちんと理由がある。
そう。
「新子」が出たのだぁ❗
よっ!
待ってましたぁ!
今年初めての「新子」を大切にいただく。
これこそ、本日一番のご褒美だ✨
おっと。
『鎌倉殿の13人』がはじまるぞ。
急いで帰らねば。
寿司屋でちょこっとつまんで、小一時間でサクッと引き上げる。
我ながら粋な飲み方じゃないの😝
ごちそうさまでした!
葵寿司
練馬区石神井町3丁目3−33
03-3996-8957
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