今日は、白河ラーメンについて語らせてもらおう。
が、その前に。
まずは、その「白河」の説明からしよう。
福島県白河市の人口は約6万人。
甲子園でよく話題に出る「白河の関」が古代の関所として有名だし、江戸時代に整備された五街道のひとつ「奥州道中」の終点は白河だ。
また「寛政の改革」をおこなった松平定信は、白河藩主である。
さらに幕末の戊辰戦争では官軍と旧幕府軍が相まみえた激戦地としても知られ、このとき官軍を率いていたのは板垣退助である。
このように陸奥の玄関口である「白河」は交通の要衝として歴史的に重要な役割を担っており、教科書にもしばしば登場する。
そのため地方の小規模な市にもかかわらず、司馬遼太郎が『街道をゆく』で評したように、市としての知名度は意外と高い。
そんな白河は、阿武隈川の源流にあり、水に恵まれている。
私が東京から白河に移り住んで一番感動したのは、どこのお店に入っても出てくる「お冷や」がめちゃくちゃ美味いことだった。
水が美味しいから、白河は米所・酒所としても名高い。
そして、この美味しい水を使って麺を打ち、つゆ・スープを作るのだから、お蕎麦・ラーメンも当然、美味くなるのだ。
そんな白河には驚く勿れ。
白河ラーメンを出すお店が100軒以上もある。
人口比としては相当な軒数である。
福島県のご当地ラーメンと言えば、喜多方ラーメンが有名なので、白河ラーメンは今ひとつピンと来ない方も多いだろう。
しかし実は、白河ラーメンこそ、喜多方ラーメンのルーツとの説もあるのだ。
さて、私が白河ラーメンをはじめて食べたのは、27年前。
白河実業高校の前にある『食堂すずき』がデビューだった。
しかし、東京の醤油豚骨、背脂チャッチャ、天下一品のこってりに毒されていた私は、このとき白河ラーメンの清廉さ・奥深さに気づかず、途中で飽きてしまい1/3を残したのだ。
それからしばらくは白河ラーメンの美味さがわからずに過ごしていたが、それから2、3年後だったと思う。
当時、国道4号線沿いにあり、お世辞にも綺麗なお店ではなかった『彩華』で食べた1杯が私のラーメン人生を一変させる。
ここで突然白河ラーメンに目覚めた私は、この日から3日連続で『彩華』に通い、以後、市内のラーメン店を片っ端から回るようになったのだ。
白河ラーメンを世に広く知らしめたお店として有名なのが『とら食堂』だ。
田んぼの真ん中にポツンとあるお店だが、今も毎日行列必至のお店だ。
この『とら食堂』が本当に凄いのは、多くの弟子を育てあげ、その弟子たちをどんどん独り立ちさせていることだ。
こうした『とら食堂』の系譜を《とら一門》と呼び、『彩華』もそのひとつなのだ。
そして、ようやく今日のお店の紹介となる。
大井町にある『麺壱 吉兆』。
こちらの店主は、横浜の仲町台にある『白河中華そば』出身である。
『白河中華そば』は『とら食堂』の直弟子なので、ここは孫弟子にあたる。
数年ぶりの訪問となるが、仕事の関係で大井町まで来たのを良いことに、開店前の11時15分に2人目として並ぶ😆
11時30分 時間通りに開店。
しかし、4ロットなので、最初の4人に入らないとファーストターンではいただけない。
このすべてを満たす白河ラーメンの王道ビジュアル。
そして、麺を手繰る。
この手打ち麺こそ、白河ラーメンである。
挽肉などの餡は少しだけ。
餡が入らない店もあるくらいで、うすうすチュルチュルの食感を楽しむのが白河流だ。
はぁ、心が満たされたよ😊
数年前に食べたときよりも美味しく、より白河ラーメンらしくなっていたなぁ~
店を出たら、この行列よ。
これほど東京人にも白河ラーメンは支持されているのに・・・・・・
なんで白河ラーメンのお店って都内には少ないのだろうか???
さかばクン的には、国分寺市にある『孫市』も都内で食べられる白河ラーメンのお店としてオススメしたい。
こちらも仲町台『白河中華そば』出身なので『とら食堂』の孫弟子となる。
こうなると『とら食堂』の味を都内にしっかり伝播させてきた『白河中華そば』の存在がいっそう輝きを放つ。
その『白河中華そば』も文句なしに美味い。
でも、仲町台はさすがに行きづらいんだよね・・・・・・😅
白河ラーメンが都内でもっと食べられるよう、私も頑張ろう!
麺壱 吉兆
品川区東大井5丁目6−6
03-5460-3358
すばらしい解説でした!
返信削除私は戸越銀座時代から吉兆の美味しさは知っていて、その舌を元に白河で食べたのは英でした。でも、とら、移転する前の彩華には感動しました。
以来白河では40軒ほど行きましたが、まだまだ行き足りません。。
どんどん新店もできるし。。。
ぼぶさんにすばらしい解説と言われて泣きそうです😭
返信削除熱く語ってしまいました
白河ラーメンを都内にもっと増やせないもんですかね。。。