そしたら、ほんとにそうなっちゃった\(^o^)/
約束通り「もつ焼 加賀山」に向かう。
でも、その前に・・・・・・ファミマでグビッと1本。
今はお店で飲めないので、胃袋に入れて持ち込むことにした(笑)
絶賛ノンアル営業中だ。
いったいどんな夫婦だよ(笑)
勿論、ごはん少なめ。
そのぶん、付け合わせのもやしキムチをマシマシにしてくれた。
他のお客さんが食べていたのをSNSで見たもんだからぜひ食べてみたかったのだ。
ワガママ言って作ってもらっちゃった🙇
ワガママついでにウインナーも搭載してもらっちゃった😝
ひとくちもらう。
うわ~、美味しい❗
お蕎麦やさんのカレーうどんみたいにみたいにお出汁が利いている。
もつカレーとはまた違った味わいだよ。
そして、追い飯をちょぴっとだけもらい、私もひとくち食べる。
美味いに決まっとるがな〜
おっ!
大一番がはじまる。
千秋楽の全勝決戦は、平成24年の名古屋場所日馬富士ー白鵬戦以来の9年ぶりだという。
15日制となった昭和24年以降では6度目だというから、意外とありそうでないんだね。
そして、結果はご存知のとおり・・・・・・😑
白鵬45回目の賜杯🏆
今日は最後に紙幅を割いて大相撲について語らせてもらう。
私が大相撲を見始めたのは、北の湖全盛期。
はじめて好きになった力士は小兵の鷲羽山だった。
そして、千代の富士から若貴ブームにかけては若島津・霧島の大ファンで、家では両力士のお茶碗や湯飲みを愛用していた。
しかし、このところずっとご贔屓の力士はいない。
いや、現れないのだ。
いったい、いつからこんなに相撲がつまらなくなったのだろうか。
私は大相撲をスポーツでもなければ格闘技でもないと考えている。
大相撲は神事であるという立場をとる。
なぜ土俵の上に「屋根」があるのか。
なぜ横綱だけ「綱」を締めるのか。
なぜ行司は場所が終わると土俵上で胴上げされるのか。
それはすべて神事だからである。
土俵の上では「神」であるべき横綱白鵬が十四日目の正代戦で見せた仕切り。
仕切り線から大きく離れ、俵寸前まで下がった立ち合いは、私が愛してきた大相撲はもう存在しないと思い知らされた衝撃的な光景であった。
朝青龍がいた頃は彼の所業の悪さが目立ち、白鵬は人間的にも評価の高い力士であったはず。
なのに、いまでは張差し、かちあげ、ダメ押しと横綱らしからぬ所作のオンパレードである。
そして、今回の異様な立ち合い。
横綱としての品格や美学、相撲道はどこへいったのか。
白鵬は大横綱双葉山を目標としていたのではないのか。
45度目の優勝と引換えに「引退」を表明するのではと内心期待した私がおろかだった。
しかし、それもそうだろう。
満身創痍36歳の横綱。
6場所連続休場明けというブランクがあるにもかかわらず、若手力士はまったく歯がたたず文句なしの全勝優勝なのだから。
白鵬がやりたい放題になるのも無理はない。
正代戦に話を戻す。
このときの立ち会いはまったく褒められたものではないが、白鵬を見ていて思うことは勝利への執念が誰よりも強いということだ。
勝つためなら何でもやる。
これも決して横綱としては認められる姿ではないが、それほどの執念と気迫を見せる力士が白鵬と照ノ富士以外にいないのだ。
このことが実に寂しい。
「四股を踏む」
力士が力強く大地を踏みしめることで、その土地の邪気を払い、五穀豊穣・無病息災を祈願する。
コロナ禍の今こそ、大相撲の歴史的な意味と神事としての役割を見つめ直してほしい。
そして、ふたたび皆が土俵に夢中になれる大相撲が帰ってくることを願うばかりだ。
いけね。
野球、競馬、そして相撲はついつい熱くなりすぎてしまう😅
大将、ごちそうさまでした。
うちに帰ってゆっくり飲むとするか。もつ焼 加賀山
練馬区石神井町3丁目28−4
03-3997-5013
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